Saturday, November 14, 2009

写真集 Yosemite in the Sixties
























このあいだ、代官山の書店で初めて見かけたんだけど
Yosemite in the Sixties』はしばらく時間を忘れてし
まうほど見入ってしまった。

Forest Defenders』のChristopher Lamarcaにしろ
『Yosemite in the Sixties』にしろ、ネイチャードキュ
メンタリーの中に見え隠れする嘘偽りない、または自
然発生的な《映画性》や《ファッション性》(僕はこ
れらを“映画”と“ファッション”とは全く別次元の言葉
であると位置づけている)には、正直何もかなわない
と思い始めている。

僕は幸い、今までファッションシューティングの現場
に何度も立ち会うことが出来た。紙面の中でモードの
世界を表現するにはどのような準備とどのような作業
が必要かということを身を以て体験することが出来た。

でもそれはあくまで決められた場所と決められた時間、
決められた角度や天候と、決められた人間を綿密に各
々のプロが根気づよく見定めた結果であるからして、
表現物は実際の世界というよりは空想的でデザインさ
れ尽くされたいわゆる“プロダクト”でしかない。

光景を創るためのデザインの介入はすでにimpure
(不純)であって、自然現象や偶発的な事象の重な
りによって意図せず形成された光景はPure(純)と
するならば、たとえばふとした瞬間にまるで映画の
ような光景を見いだしてしまうということ、これは
非常にPureな体験であって、まるで山の木々や星を
見て美しいなぁと思う感覚と同じではないか。その
瞬間に生まれる感動は、出会ってしまった者の特権
以外他ならない。




















僕がここ1年で“ドキュメンタリー”というものの中に
強い可能性や感動を求めているのは、創作に勝る偶然
を求めているからだ。ジャーナリストが光景に出会っ
てしまったために起きるまるでビッグバンのような記
録物。創作物としての役割ではない人間という生物の
営みを記録した自然現象の記録である。





















僕はそこに自然が絡んでいる光景が好きだ。















この本は僕のPureな感性を刺激してくれる。
この光景の記録に出会えて良かったという気持ちになる。
それを感じたとき、僕の情報過多で凝り固まった審美眼
が浄化されていく。





















なんか難しくなってしまったかな。
ちなみにamazonでも買えますので 
良かったら一度見てください。。

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